コラム:バカとブスほど東大に行けというセリフについて思うこと

キャリア

最近、バカとブスほど東大に行けという言葉をネットで見かけた。どうやらドラゴン桜のセリフらしい。

現代はできるだけルッキズムをやめていこう、というムーブメントが起こりつつある。そう言った時代の流れからするとやや的を得ていない発言のように思える。

だが、実情はどうだろうか?本当にルックスで得することは減ってきているのだろうか?

ルックスによるアドバンテージはむしろ増加していないか

昔は大企業に入れば安泰で、その他のことを考える必要はなかった。だが、今はVUCAの時代と言われる。以前と比べて、少しずつ個々の力によって収入に差がつくようになってきている。

youtuberなんて職業が出てきて、最近ではライバーだのTikTokerだの、芸能人でない”一般人”が人前に出て、顔や体や声を使って稼ぐことが当たり前になってきた。「パパ活」なんて言葉が一般的になってきている。パパ活をしている人なんて実際ごく少数でしょ、と思われるだろうが、会社の後輩に聞くと、友達ではしている人は割といた、なんて返ってくる始末だ。

私はむしろルッキズムは加速してきているのではないかとさえ思う。いや、本来人間の奥底にあった感情や欲望がインターネットという便利なツールによって露呈してきているのかもしれない。

就職活動だってそうだ。会社説明会に出てくる人事の人は、みな爽やかで一緒に働きたいと思わせてくれるような人々ではなかったか。アメリカでは履歴書には顔写真や性別、年齢を書く必要はない。(それでも、アメリカ風の名前かアジア系の名前かでは履歴書の受領率が変わるというリサーチもあったりするが)

日本では就活となったら履歴書に顔写真を載せるのは変わっていない。最近では自己PR動画を撮って遅らせたり、OB訪問が有利に働いたりと志願者のキャラクターを見るような選考過程が増えている。

現代でルックスは非常に強い武器なのだ。残念ながらこの事実は否定しようがない。

大学までの世界

さて、本題に戻ろう。バカとブスほど東大に行けという言葉はかなり刺激的なセリフである。

大学時代の僕が見たら、「そんなことないだろ、無理して東大に入るより早慶とかMARCHとかいった方が人生楽しそうなのに」みたいに思っていたに違いない。

だが、社会人になってみて、この考えはかなり変わったといえる。

「東大」は持たざるものにとって大きな武器になる得るのである。

まず、私の自己紹介を少し前から遡っていこう。

生まれから高校卒業まではずっと地方育ちで、一般的な家庭で育った。

地方なので当然学校は公立、ありがたいことに成績だけは良かったので東大を受験し、なんとか合格したため進学した。

学部は経済学部だったが、新卒では日系の大手企業に就職した。その後はまだ日系企業でサラリーマンをしている。

社会に出るまでは気づかなかった格差

東大に皆さんはどういった印象をお持ちだろうか?

天才しかいない、ガリ勉の集まり、変人ばっかり…

最近はテレビなどでも面白おかしく取り上げられるようになり、実態とは少しかけ離れたイメージを世間に持たれているような感じがする。

私の東大に対する印象は

・しっかりした人間や真面目な人が多い

・家庭はミドルアッパー層が多い

・帰国子女や留学経験者などは意外と少ない

と言った感じた。いわば、割と質素で庶民的である。

もちろん、両親が医者で〜とか別荘が何個あって〜みたいな人もいないことはないが、少なくとも僕の周りにはそういった人間はほとんどいなかった。だから、平凡な家庭出身の僕でも自分の経歴に疑問を抱くこともなく、就活を終えるまで格差を感じたことはあまりなかった。

会社に入って変わった価値観

僕が働いている会社は、東京にオフィスがあるが、海外にも関連会社が多く、人によっては出張も少なくない。

会社に入ってから驚いたのが、海外経験のある人の多さだ。

高校までは海外経験のある人なんてほぼ皆無だった。2週間アメリカにホームステイしました、くらいの人の発音が綺麗なことに盛り上がるくらいの環境だった。

大学になると、少しは帰国子女の人が増えたが、帰国子女がキャラになるレベルには割合が少なかった。サークルで帰国子女の友人は、帰国子女キャラとしていじられていた。

そんな環境から打って変わって、会社に入った途端、むしろ海外経験のない僕がマイノリティになった

当然、海外経験がある人というのは親の仕事の都合であるため、ぶっちゃけ実家が太い。幼い頃からインターナショナルスクールに通い、シンガポールやらニューヨークやらサンフランシスコやらロンドンやらの大都市で子供時代を過ごすのだ。

英語ができるのは当然であるし、コミュ力も高いキラキラした人たちがいっぱいいるのだ。

これは私の勤める会社の問題なのか他の会社も同様なのかはわからないが、ルックスも秀でている人が多い。少なくとも大学時代と比べれば明らかにキラキラしている(別に東大生のルックスをディスってるわけではない)

僕は大学時代までは、多分学力至上主義だった。僕らは模試の点数や偏差値で競い合っていたから、勉強ができるやつの方が偉いと無意識に思っていたし、勉強というフィールドにおいては少なくともフェアな戦いができていたと思っている。

だが、社会に出て、世の中は格差で溢れているということに気づいたのだ。

スペシャリティがあるわけでも流暢な英語が話せるわけでもない自分

そう、僕はただ高校時代成績が良かっただけに過ぎない。それ以外にすごく秀でているものがあるわけではないのだ。

大事なのは同じ土俵に立てるかどうか

生まれた時のステータスで考えれば、先述のキラキラした人たちと同じ土俵に立つことはかなり難しいはずだ。

ではなぜ、それが可能になっているのか。それは東大を出たからである。

特別秀でたルックスや海外経験、抜群のコミュ力など皆無な僕でも、東大という肩書を持つことで彼らと同じ土俵に立つことができる。

そして、同じ土俵に立てばあとは追い越していけばいいだけなのだ。

この世界では同じ土俵に立つということが難しい。でも、それを簡単に(簡単ではないかもしれないが)可能にしてくれるのが東大に入るということなのだ。

だから、君が自身が持っているステータスに自信がないなら、東大を目指してみるのも一つの選択肢だと思う。

特に誰かに向けた記事というわけでもないが、最近、バカとブスほど東大に行けという言葉を見て思ったことを書き連ねてみた。

駄文にお付き合いいただきありがとうございました

それではまた!

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